最近、テレビのニュースやワイドショーを見ていて感じるのは「ハラスメント」という言葉を耳にしない日はないぐらい、「嫌がらせ」に類する何かしらの話題が取り上げられている気がします。
ハラスメントとは他人に不愉快な思いをさせたり、精神的あるいは肉体的に実質的な損害を与える行為や言動とされています。また、社会問題化するにつれ「定義」も存在するようです。
以前はパワーハラスメントやセクシャルハラスメントぐらいだったものが、今や嫌がらせとして扱われるものには、何でもかんでも「ハラスメント」がつくようです。
「嫌がらせ行為」は、どんな理由があっても許されないことです。とはいえ、やや過敏になりすぎているように感じるときがあります。
本来「嫌がらせ」とは、受けている者の主張(主観的)であるにもかかわらず、無関係な第三者(または傍観者)による客観的な推察だったりするものが増えているような気がします。
それによって救われることもあるので完全に否定はしませんが、特にネット(主にSNS)を使った動画による拡散(リツート)では、情報の一人歩きになってしまうところに危険性を感じます。
テレビの朝のワイドショーで、ある人(立川志らくさんが司会の「グッとラック!」に出演していたコメンテーターだったかな?)が上手なたとえを言っていたことを思い出します。
「ネットの拡散(リツート)は、住宅のポストにビラを一斉に配るようなもの」
マスコミと一般人による情報取り扱いの違いは「事実関係の確認と責任」にあります。
ではなぜ、個人の情報が尊重されるようになっているかというと、マスコミの情報は事実関係の確認などが情報発信の「遅延」につながったり、何かしらの圧力やバイアスがかかることによる情報の信ぴょう性に欠いたり、地域性やマンパワーの観点で、やむを得ないまでの情報収集力にあるのではないかと思います。
教育的な目的で指導を受けるだけでも、誰だって多かれ少なかれ自尊心などが「傷つく」ものです。しかし、何でもかんでもハラスメントで処理するのはいかがなものかと思います。
暴力は絶対に許されませんが、第三者が何も事情を知らずに動画だけを配信するのもいかがなものかと思います。状況によっては緊急性が求められることもあるでしょう。そういう場合には個人のSNSに投稿するのではなく、しかるべき相手(人、会社、団体、警察など)に報告をすれば良い場合もあるのではないでしょうか。
人間は感情の生き物だから、人とのかかわりにおいて、時には傷つけあってしまうこともあるでしょう。
お互いの理解が深くなければなおさらです。とはいえ、人間は感情の生き物です。
言動などに気を遣いすぎるがために、コミュニケーションが「無機質化」してしまうのは、それはそれで残念な気がしますが、そのほうが無難な時代になっているのでしょうか・・・?
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